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田村裕は一目覗き見ただけで其処が人の住める場所でないことが判った。
冷たく湿った空気。食べられる物の匂いはしない。水の滴る音が微かに聞こえるが、汚染されていて飲むことはできない。田村にはそれらを考えずとも感じ取ることが出来た。
しかし、この洞穴には人が居る。長く此処に住んでいる。食料も水もない此処で、生き長らえている。そして、その男こそ、探し続け、待たせ続けた相手だ。
足をかけると何かが音を立てて崩れ落ちた。それを見て田村は此処がいかなる場所であったのかを理解した。そして心配がないと判断して思い切って飛び降り、底面に降り立った。腐った本のページから靴を引き抜き、奥を臨んだ。
黒い上下の痩せた姿を目にし、田村はようやく相手の正体を知った――思い出した。
「そうや、相方やんけ」迷いも惑いもない明るい声が、洞の中に反響した。
背を屈めて歩み寄り、肩に手を掛けて揺すった。
「遅なったな。来たで」
川島明は薄目を開け、「ああ」と小さく頷いた。
「言うことないんか。感動の再会やんけ」
「お前かて、今まで俺のこと忘れてたやないか」
低く滑らかな声もまた、洞に静かに反響した。
そして今、田村裕は相方を背に荒野を歩んでいた。
僅かに痩せていただけだった川島は、本で出来た洞穴を抜け出すと目に見えて衰弱し始めた。
一切の飲食をせずに今まで生きてきたと言うのは照れ隠しか何かだろうと真に受けていない。しかし、瓦礫の街を歩き出してすぐ「得るモンがない」と言い、それきり無言になったのは事実だ。
長身を背負うと、想像していた以上に軽かった。呼吸が荒いわけではない。むしろ一息一息の間隔が長くなっている。田村は不安に駆られ、歩を早めた。
少なくとも、今の自分に出来ることは何もない。それだけは理解できる。自分の力は川島の役には立たない。考えずともそれを感じ取っていた。
焦りばかりが募った。ただ指示に従って歩を進めることしかできない。
「しゃべれや」
不意に耳元で低音で囁かれ、田村は身を強張らせた「何やねんいきなり!」
「喋ってくれ、何でもええから」
その声の奥底に、田村は確かな弱音を聞いた。切迫した危機を感じた。
「言うたかて俺、誰にも会うてへんしやな」田村は戸惑いながらも懸命に話題を探した「そうや、醤油や、俺ずっとこの醤油で食うてきてんで」
背中で小さな嘲笑が聞こえた。
「何でもええから言うたら、食い物の話になるんか」
その内容に不満を抱くよりも、その声に僅かなりとも力が戻ったことに田村は心を奪われた。
川島の生命力を支えているものは、会話の中にも含まれている。確信はないが、縋ってみるしかない。それが自分に出来ることならば、喉が枯れるまで喋り続けよう。田村は相方を支える腕と、踏み出す足と、声に力を込めた。
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(でも酷いことになっていたりする可能性もありますのでTOPの注意書きをご了解いただいた上でご覧下さい)
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