どせいさんの かくればしょで ごじます。 ぽえーん。



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 兄弟篇についてご存知ない方はまとめページからご覧下さい

・白い男独白
・暗い

・橋の欄干に身をもたせ、僕は川面を見下ろした。
 川は好きだ。この思いは憧れに近い。流れ着く先に海があるから。自分の力で海を目指しているから。
 近頃、僕は地上に居場所を見出せなくなることがある。どこに居ても、心許なさがつきまとう。不安なんて短い単語で言い表せない、消えて無くなりたいような所在なさ。
 それでも背中には常に贖罪が張りついていて、僕を人間の形に保とうとする。人であり続け、そして罪を償えということだ。
 ああ、海に帰りたい。
 海になら、僕の居場所がある気がする。それは全くもって根拠のない感覚なのだけれど、例えば魚になって海の中に漂うことを考えたとき、例えようもなく安らぐ自分がいるのだ。
 周囲には海水しかない。音も光も、水を通して伝わってくる。僕はその中を、ただ泳ぐ。こんな安堵が他にあるだろうか。地上にはないと僕は断言できる。だって今まで、これだけ苦しんで探してみても、どこにも見つからなかったのだから。

 深海でなくて構わない。暗く静かで安心できるけれど、天空と同じであまりに遠く、尊すぎる。僕などが辿り着いてはいけないところだろう。
 美しい砂浜の浅瀬でなくて構わない。明るく流れが穏やかで、綺麗な仲間が大勢いるだろうけれど、太陽の光が届くところでは、僕は地上の暮らしを思い出してしまうかも知れない。
 普通の海でいい。普通の海。僕はそう考え、そして自分に失笑する。『ふつう』なんて子供じみた表現を、僕はどこで覚えたのだろう。

 僕はそんなことを考えながら、ただ川面を見下ろしていた。
 不意に魚が跳ね、僕の視点は水の奥底から焦点を引き上げた。
 そうすると、俄に様々な事々が感じられてくる。音。色。光。匂い。自分が人間として地上に生きている事を、またも認識せざるを得なくなる。傷みを伴う瞬間だ。
 川面に映る僕の白い姿を、その表情が歪むのを目視してしまわないうちに、僕は目を逸らした。

 河原には多くの花が咲いている。春なのだ。
 僕も花が好きだった時期があった、と思った。好きになろうとしていた、或いは救いを求めていたと言うべきかも知れない。
 彼から譲り受けた魚の世話に没入できなかった時期だ。それは一種僕の中でストレスとなり、逃避する形で僕はベランダへ出たのだった。

 最終的に僕は花と喧嘩別れをした恰好になる。有り体に言えば、僕は花を捨てたのだった。
 植えてみたものの、あまり気に入らなくなった花の剪定をしていたときのことだ。花がらをつみ、枝を落とししている時、それは僕の前に現れた。
 花には多かれ少なかれ虫が付く。それは我が物顔に、自己の権利を主張する。自分はこの植物に依存して生きているのであり、こうして寄着するのは当然であると言わんばかりに。むしろ、これを害と見なすのはお前だけだと言っているようだった。増して花がらを忌々しげに摘むお前のその手付きは何だ。この花への敬意が感じられない。
 彼は触覚を膨らませ、毒液を放って僕を威嚇した。
 その忌々しいことと言ったら、かぶれた指先は2日の間ペンを持つこともできなかった。

 痛む指先でキーを叩き、病害虫というものを調べている内、不意に怒りが湧いてきた。あの瞬間の心の波打ち、僕の心の触覚が膨らんだ感触を僕は今でも覚えている。
 彼は確かにその花に依存していただろう。しかし、余程の事でない限り、他の花でも良い筈だ。厳密に一定の種類と結びついている種族の方が少ないはずだ。
 そして、彼らはその花の『ファン』なわけではないのだ。その花を愛しているから寄生するのではない。自分が生きたいから。エゴなのだ。あんな小さな醜い毒虫の、エゴ。

 僕は毒虫に寄生されている、され得る花を嫌悪した。不意に花そのものが憎くなったのだ。花のトゲで毒を受けたような気分になったのだ。
 そして僕は気付いた。花もまた、エゴに生きているのだ。美しく咲いて虫をおびき寄せるのは、虫のためではない。ましてや人間の目を楽しませるためでもない。受粉、種の保存、己のために他ならないのだ。

 僕は剪定鋏で花を根元から、虫のついた枝ごと断ち切った。そして挟んだままゴミ袋へ放り込み、翌朝の収拾に出した。 
 ここは僕のベランダだぞ。
 僕は断ち切る瞬間そんなことを言ったように思う。
 もちろん今の僕にはわかっている。僕もまた、エゴに生きたのだ。

 あれきり、僕は花を愛することができなくなった。花を憧れや親しみや安らぎの対象として見ることが出来なくなった。
 結局彼らもまた地上に生き、地上に依存して生きている。僕らは全て繋がっていて、それは多分あの時死んでいった8人の遺灰からずっと連なっているのだ。
 僕が花を捨てたのではなく、僕が花に捨てられたのかも知れなかった。だって、海の中に咲く花はないのだから。

 あの少年が土手を駆け下りてくる。彼が僕と幾つも違わないと知ったときには驚いたものだ。
 彼は花だろうか。
 不意に過ぎったそんな考えに、僕は自ら首をひねった。
 彼は人間だ。花じゃない。

 でも、僕の眼下で蝶を追い、兄や友人達と遊ぶ姿は、風に揺れる花そのものに見える。
 エゴに生きない花なんて存在するのだろうか。
 何の御伽だったか、土壌の毒を吸って枯れていく花があると。濾過のために咲いて散る花。
 もし本当にそんな花があるとすれば、僕に出来ることは何だ?僕の手にはまだあの日の剪定鋏がある。僕は苛立ちと共に花を根元から断ち切った。あの男が人を殺めたのと同じように簡単に!
 毒虫を、握りつぶすことか。それは一人の人間に可能だろうか?

 けれど、もしもあの花が、毒虫をも許容してしまうとしたら?
 救いを求めるように取りつき、その蜜を吸い尽くそうとする者を抱きしめ、全てを与えんとするならば?
 虫の毒すら濾過され得るとしたら?

 僕はかぶりを振った。
 確かにあの少年は無垢だ。あまりにも汚れない。でも、僕はもう、そこまで人間を信じることが出来なくなっている。
 彼らに背を向けて僕は橋を渡った。
 いつか海が僕を招き入れてくれるまでの、人である僕の住まいへ戻るために。
 それでも僕は、改めて『捨てられた』痛みを覚えていた。
 海の中に咲く花はない。あの少年の姿も、海の中からでは見ることが出来ないのだ。

 部屋へ戻ったら魚の世話をする。
 友人の部屋の戸締まりを確認する。どうせ食事も摂っていないだろうから無理にでも食べさせる。彼の話に付き合っている間は全てを忘れられる。
 そして一人に戻ったら、その時まだこんな毒虫のような感傷に取りつかれているようなら、心の根元から剪定鋏で断ち切ってしまえばいい。
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