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・兄弟+1の部屋
深夜、身を起こす庄司
そっとふすまを開けると、同じように兄も顔を出している
「何か聞こえま…すよね」
「そうやんな?」
耳を澄ますと、微かにだが確かにドアがノックされている
・「どないしたん…?」目をこすりながら弟起き出してくるが
「入っとき」兄は部屋に戻してふすまを閉める
そして庄司と目配せし、バットを手に「誰や?」
・「俺だよぉー」情けない鼻声はもじゃもじゃのそれだ
「何やねん?何時や思てんねん?!」
兄の抑えた声の抗議を後目に、もじゃもじゃは上がり框に這うようにして泣きじゃくる「さとしぃー」
「もじゃもじゃ…?どないしたん?」
・「さとしさとしぃー何か悲しいことあったかよお」
「…?なんもないで?」
「なんにも?」
「うん」
「兄ちゃんは?マッスルは?」兄と庄司を振り返って
「いや、オレも別に」「ないけど」
「うわーんじゃあ何でだろ、何でだろなー、俺今寝ててすげえ悲しくなってさー、涙どんどん出てさー、だから聡が悲しくて泣いててそれが伝わってきてんのかと思ったの」
・ポカーンとする兄と庄司だが
弟はもじゃもじゃの頭をもじゃもじゃ撫でて「おれやないで、おれかなしないよ、ありがとうな」
メガネを外して泣くもじゃもじゃ「うおーん」
「だれかの、かなしいので、かなしなる?そうなんかな。それやったら、しろいおっちゃんのやないの?」
「あ、そうか、しんたろー」
「僕は賢太郎だ」玄関に立っている白い男
「あ、けんたろー」泣きながらも嬉しそうに振り返るもじゃもじゃ
・「夜遅くに余所様を訪問しない方がいいな」
「俺もそうおもったのー、けどさー、しんぱいしたんだよぉー」また泣く「うおーん」
「その件だけれども」白いパジャマの襟を合わせつつ「僕のでもない筈だ、心配要らない」
「わーん」天を仰いで泣く「よかったーよかったよぉーよかったけど悲しいよぉーうわーん」
この事態から何かを学び取ろうと眉間に皺を寄せている兄、
途方に暮れてバットをあっちへ置いたりこっちへ置いたりしている庄司
・「誰しも不意に涙が出ることはある、得体の知れない不安や苦痛に襲われることもある…それが君みたいな、」弟を見遣って「聡君や君みたいな存在なら尚更だ」
「そうなんや」
「或いは誰かの、この街の、もしかしたらもっと遠くの誰かの悲しみが伝わってきているのかも知れないな。君たちなら、そういう事があったって、おかしくはない…おかしくはないよ」
・そして引き上げていく奇人二人
目が覚めてしまったので弟は庄司に牛乳あっためてもらった
「けど、そしたら、そのひとかわいそうやな」
「誰?」兄はパンの耳囓りながら、吊してあったスカジャンを弟に羽織らせる
「その、とーくにおる、かなしいひと」カップを吹いて冷ましながら「そないとおくにおんのに、ここのもじゃもじゃにつたわってくんねやったら、そのかなしいのんが、そんだけおおきいってことちゃうの」
「声の大きさみたいなコトかー」庄司もパンの耳加えて天井睨む
「なんやかんがえてたら」クスン「おれもかなしなってきた」
・薬やら手品やらたのしいおはなしやらで
どうにかもじゃもじゃを寝かしつけた白い男
一人部屋に戻り、そして呟く
「それは誰の悲しみでもない、人の悲しみは伝わってきたりはしない」
白い布団にもぐり込んで、目を閉じる
そうとも、彼は、僕の親友であった片桐仁は、あの奇人もじゃもじゃは、
今彼自身の心の痛みに涙しているのだ
他者の悲しみが伝わってくるなら、この世はどれだけ辛いことだろう
或いは、それ故に傷みを分かち合いいたわり合えるようになるのだろうか
それともひたすら涙に暮れるだけで容易く滅びの道を進むだろうか
だがそれは過程でしかない、絵空事でしかない
人は他者の悲しみを受け取って涙したりはしない
君の悲しみは君一人のものだ
――だって、僕は毎日悲しいんだから
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