どせいさんの かくればしょで ごじます。 ぽえーん。



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 ここから買ってもらうと
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 そうです。
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・事の発端は祖父の遺したバッティングセンターだ。古いアーケードゲームと、古い機材。とっとと建て替えて今風のゲーセン(クレーンゲームと写真機置き場)にすればよかった。或いはもっとうまくやる手もあったかも知れない。でも正則は意固地になっていた。
 同様に晋哉もまた意固地になって、せっかくお呼びのかかった有名レストランを出て行かざるを得なくなった。上手に立ち回れば4号店とかの店長になれたかも知れない。
 英知もまた意固地に、やりたくない仕事を断り続け、結果盛大にあらゆる機会損失を繰り返して生きていた。
 突然膨れ上がった負債は兄弟を散り散りにし、結局祖父の遺したものはほとんど全て人手に渡った。
 東京に居場所が無くなった晋哉は、意にそわない仕事を始めるためにツテを頼り大阪へ向かった。英知も今まで断っていた全てを請負い、ろくに寝ない生活を始めた。
 一人残された正則が、離れて暮らした数年の間、何をしていたのか二人の弟は知らない。しかし3人の労苦によって借金は遂に全て返済し、新たな将来を考える余裕が生まれようとしていた。
 そんな時に英知が過労で倒れた。入院、検査の後緊急手術、そして告げられた病名と予後。無理をすればすぐに、そうでなくとも数年。
 英知はむしろ冷静に受け止めた。正則は身も世もなく取り乱した。晋哉はただ呆然としていた。考える間もなく「未来」そのものが奪われる。
 「死ぬのは構わない。いつかは死ぬんだから、俺だって兄貴たちだって。ただ時間を区切られたのが不愉快だなあ。読んでない本、聴いてない音楽、そういうものを残して退場しなきゃいけない。あとゲーム」
 そこからの正則の動きは早かった。晋哉を呼び寄せ、英知に仕事を辞めさせ、自分は「一生懸命兄さんする」。かくして生まれたのが喫茶ピエール。
 幼い頃から面倒を見てきたが、途中に割り込んだ負の時間によって兄弟の関係は帳消しどころか反転し「足りなくなっていた」。これから埋め合わせるのだ。もちろん代わりになるというものではない。補って余りあるという内容を積み重ねるのだ、最期の瞬間まで。
 できるだけ構えずに、どうでもいいこと下らないことを優先しよう。「実のあることやったら他の人らがやるやろうし」「死ぬと決まったら死ぬまでゲームしていたいって人間ですからね」「まともなことはできねえよなあ」
 正則が発案した『溺愛プレイ』がすんなり納まった。呼び名も行動パターンも、始めはゲームのノリだった。それでも意固地な3人は「自家中毒起こしたんだろうな」「洗脳みたいなことかも知れんなー」「いずれにしても甚だ迷惑ですけどね」
 暮らしの端々に末っ子の死期は匂う。それでも意に介する事なく、飯を食い、ゲームをし、楽しく暮らす。やりたいことをやる。それが何より大切な事。
―――――
 ということなんじゃないかなーと思う僕です。不幸なのではないんですよ。たぶん。
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