・忘れていたわけではない奴ら
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・長井は地下道からの階段を駆け上がり、周囲に人影がないことを手の中の小さな明かりで確認した。
この状況、そしてこの力では、大規模な戦闘は避けたい。例え相手が一人であっても、相手に主導権を握られれば長井にとっては十二分に『大規模』の範疇だった。
耳を澄ませる。撃鉄や足音はない。どれだけ息を詰めて耳を澄ませても、認識できるのはその程度なのだ。姑息なまでに用心深い所作で、長井は瓦礫づたいに歩き出した。
生き残ることが出来たとは言え、その能力は一般人とさほど変わらない。ただ一つ右掌を除けば、異変の前と大差無いのだ。
長井にとっては、それは屈辱以外の何物でもなかった。しかし、何の庇護もないこの世界に於いては、甘んじなければならない現実でもあった。
少しでも“仲間”を集めることが出来れば、事情は変わるのかも知れない。しかし、条件に該当する生存者にはお目に掛かったことがない。この俺様しか居ないんだ、間違いない。長井は幾度も自嘲を繰り返し、最終的に全て諦めたのだった。
今の長井にできるのは、一人一人であってもこうして殺していくこと、それも苦しみ抜いて死んでいくのを見届けることだけだった。
もたれ得る壁面までたどり着いたところで長井は足を止めた。そして黒い覆面をはぎ、大きく息をついた。
その時、周囲に風が巻き起こった。それは鳥が羽ばたく瞬間に似ていた。何も見えない事は解り切っていたが、思わず長井は頭上を見上げた。
やはり何もない、漆黒の闇しか見えない。それでも、そこには意志があるように思われた。意志のある闇が、自分目掛けて降ってくる。
長井が感じられたのはそこまでだった。
・升野の足の下で、それは悪ふざけのような仰々しい破裂音を立てた。
見れば街路のタイルの下にまで後頭部をめりこませている。
「見上げなければいいものを」升野は堪える事なく笑い捨てた「どうせお前達には見えないんだ」
それの顔から靴を引き抜き、升野は地下道へ駆け込んだ。血と脳漿で濡れていなければ足音など立てない自信があったが、周囲に誰も居ないことを正確に認識していた升野は構わず駆けた。
庄司は絵に描いたような未練がましい姿で倒れ伏していた。
爪先でひっくり返してやると、タンクトップの胸に毒々しい紫の手形が付いている。
「起きろ、筋肉バカ」
升野は僅かに口許を歪め、懐から小さなナイフを取り出した。そして手形の真ん中を一文字に切り裂いた。
庄司は僅かに呻いたが、目を開ける様子は無い。斬られた傷から、黒ずんだ血が弱々しく溢れている。
一切の明かりの無い、ほぼ完全な暗黒の中で、升野はその様子を見下ろしていた。次第に沸き上がる量が増し、色も鮮やかな赤となっていく。
「まだ保ちそうだな?」
そう笑うと、升野は庄司の手を引き、安い鞄でも背負うように肩に担ぎ上げた。周囲と同じ漆黒の服に鮮血が染みていくが、一向に構う様子はなかった。
「まだ死ぬな。やり残してることがあるだろう」
腕一本で背負われている庄司からの応えはない。しかし、その顔色に生気が戻っていることが升野にはわかっていた。
「今お前が死ぬと、面白くない」
そう笑うと、升野は階段を駆け上がった。靴の底の血は既に乾いており、足音は一切立たなかった。
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