兄弟篇についてご存知ない方はまとめページからご覧下さい
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時刻は2月5日になったばかり
兄弟のアパートの階段を踏みしめる巨きな足音
ドアを開けて迎える兄ちょっと眉根を寄せて「聡がもう寝てるんで!」
「何て?」大きな箱を抱えた礼二、顔がほとんど見えてない
玄関にどすりと箱を置いて「もう喰うたか」
「はい。え、何をですか?」
兄の黒い目を睨み上げて「丸かぶりや恵方巻きや、これ、100本」箱を平手でビシリと
「100ぽn?!」
思わずの声の大きさに背後から庄司が口を塞ぐ
「どっかからの贈りモン平たく言うたら嫌がらせや、まあ毎年のことや慣れっこやけども」
「ダイジョブなんすかそんなの放っといて」庄司開封し覗き込みながら
「何10万行かんようなモン嫌がらせに入るかいなさせといたらええがな」
「言うてもそれは偽計業務妨害ですなあ…」いつしか庄司の後ろに切れ長の黒い目が
「何や居ったんかいな国家の犬、どういうこっちゃ」
むっとした表情のモノだが、「かぁしまさんきょうたんじょーびやねんで」と背中にぴょいと抱きつかれては言葉もない
「寒いで寝とき」兄が着ていたどてらを弟にかける→どてらの二人羽織みたいな風体になるモノ
「何や宴か、したら丁度ええがな100本くらいチャチャッと片づけたってくれ」
「無理ですよ!」声が揃う兄と庄司
「いあ!いやいや!かたづけます!俺が片づけます!」コタツから巡査這い出して来る
(巡査とモノと弟と視線を走らせニヤニヤする礼二、咄嗟に何かを否定しようとするモノだがその動揺を自ら抑え込んで辛うじて赤面を最小限に)
「さしものお前も腹下すで」ええ声で警告「もう人の分まで食うてんねんから」
「バカにすな!食いもん食うて下したりするか!」
「したらお前は何を食うて下すねん…」
「失礼、時間帯を考えると随分と賑やかなようですが」白い男が白いパジャマに白いガウンで
「お、学者先生!どないでっかあの物件の方はご検討頂けましたやろか」巻き寿司一本捧げつつ
「どの物件の話でしたっけ」受け取りつつも「酢飯だけなら頂戴したいが」
「オレかんぴょうだけならもーらうー」鬼の面かぶったもじゃもじゃがすててこ一丁で踊っている
そして礼二が(結局半分以上を残して)帰った後、
弟はもじゃもじゃから鬼の面を借り受け、「たんじょーびやねんから!」と無茶な理由でモノに強引にかぶせ、豆を。
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雪は舞う程度で止んでしまい、枯れ木をうっすらと覆うに留まった。
昼にはすっかり解け、いつもの街の日常が戻ってくる。
絵師は雨戸を開け、日だまりの中で再び微睡み始めた。
礼二は散々ぼやき散らしながらチェーンを外す。
チャーハンが蹴ったラードの缶からは解けた雪が冷たい雫となって散った。
そんな日常の中を、俯いたまま弟が歩いていく。
行き違う相手はいつものように声を掛けるが、前髪の影から見上げ、か細い声で応じるだけだ。
「元気ないやないか、どないした?」
「きょう、おれ、たんじょうびやねん」
「何や、オメデトウやないか、何を辛気くさい顔することあんねん」
「おめでとう、ちゃうねん」
わずかに背を丸め、白いマフラーを胸に抱え、狭い歩幅で歩いていく後ろ姿は、見た全員に弟と初めて会った日のことを思い出させた。そのまま不意に消えてしまうのではないかと思うような儚さ。兄の影からこちらを見上げる怯えた目。
親しくなってからの無邪気な明るさからはついぞ甦らなかったその面影に、誰もが不安と共に一抹の寂しさを覚えた。
公園でブランコを漕いでいる弟の傍らに、いつの間にか兄の姿があった。
「庄司が何かできた言うてたで。冷めんうちに食べよ」
弟は俯いたままだ。
兄もブランコへ腰を下ろす。
「何か、あったか?」
しばらくの間、マフラーに手を突っ込んだり手にぐるぐる巻いたりしていたが、弟は遂に顔を上げた。
「おれ、うまれてこんほうが、よかったんちゃうかなあって」
「誰かに、そない言われた?」
「いわれてない。おれが、そないおもた」
「何で、そない思た?」
「おれが、うまれたから、兄ちゃん、ずっとしんどいおもいしてんねやんか。
おれがうまれへんかったら、兄ちゃん、こわいしごと、しんどいしごと、せんでもよかったし、兄ちゃんひとりで、やりたいこと、なんでもできたやんか。
おれ、みため、こんなんやから、いろいろ、へんなことなるし、
あたまもわるいし、おれひとりやったら、なんもでけへんし、
おれ、兄ちゃんの、あしでまといや。
おれなんかを、いっちょけんめ、そだてるために、兄ちゃん、ずっとがんばってて、兄ちゃん、かわいそうや」
ブランコの軋み、ヒヨドリの声、その中に弟のしゃくり上げる声が混じる。
「そんなん、思わんでええよ」
兄は努めて穏やかに切り出した
「思わんでええというか、思って欲しないな、俺は。
やってな、
聡が、生まれたから、俺ら、兄弟になったんやで。
あん時、確かにあん時は、聡小っさかったしな、これからどうしょ思て、ちょっと、うん、どうしょ思たよ。けど、そん時だけや。
やってな、もし聡居れへんかったらな、俺一人やで?あん時に一人になってもうて、そしたら俺、しんどい仕事はせえへんと済んだか知らんけど、そんなん、恐いわ。想像つけへんよ。聡が居ったから、こんな俺でもな、やって来れてん。
それにな、聡が居ったから、いろんなええ事あったで。
絶対話せえへんような人とも仲良うなれてるし。
俺にはでけへんこと聡なんぼでもできるしな。
もし俺にも聡にもでけへんことあったら、どないしたらええかなってめっちゃ考えるようになったしな。
庄司のこともそうやで。聡が居ったから、俺、庄司を護ったらなあかんと思たんや。
もし聡があないな目に遭うてたら、って思たから。
そんでな、そん時からや。
俺にできることは全部やろう、できること全部どんどんやってこう、って思たんや。
こんな俺にでもできることがあんねやったら、聡のために、みんなのために、頑張ろって思たんや。
聡が居ったから、俺、兄ちゃんになれたんやと思うよ
生まれてくれて、ホンマ、ありがとうって、ここコの底から思てるよ」
最後の最後で決定的にカンだが、兄は穏やかに弟を見つめた。
弟はそんな兄を、数年前から自分のそれより下の位置にある目を、前髪の影から見上げた。
「こない言うても、生まれて来ん方が良かったって、思うか?」
「…わかれへん。ちょっとおもう。けど、おもいたない。けど、ちょっとおもう」
しかし弟は、マフラーを抱いて笑顔を見せた。
「けどな、おれな、兄ちゃんの弟にうまれて、うれしい」
すっかり晴れ渡った空の下を兄と弟は肩を並べて家路についた。
帰りが遅いことを心配して捜しに歩いた間に煮詰まってしまった庄司の「何か」は急遽水を足して煮直された挙げ句酷い味になったが、それでも三人は笑顔でささやかな祝宴を楽しんだ。
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・日頃ぬるい雨しか降らないこの街に雪の予報が
弟は朝からずっと空を見上げている
「風邪ひくで」「家であったかくしてなきゃダメだよ」と言い残し兄と庄司が出掛けた数分の後、弟もマフラー巻いて外へ駆け出した
・知った顔を見かけて駆け寄る「れーじさん!」
「あ?何や?向こう行っとけジャマジャマ」手で追い払う仕草
「………」小首を傾げてちょっと考える「あの、あの、なんかににてるわきょうのおっちゃん」
弟が言いたかったのは『ロシア人のオバチャンの服装』だ
「まあええわ、なあ、ゆき、ふるかな?」
「知らんがな。けど降る言うてるからこないしてチェーン巻いてんねやろが、ほらいらんこと言うから絡んだやないかッ」キー!
・チャーハンの店から出てくるもじゃもじゃ
今日の風体:児童向け特撮ヒーローのプリントの入った肌着(乳首の下ギリギリまで、もちろんキツキツ)+紫に金のラメの入った厚手の布の襟巻き(つぶれたスナックのカーテンをガメて来た)+たまご色にショッキングピンクのボーダーのゆるいハーフパンツ(婦人向けのルームウェアの売れ残り)+黒のゴム長
当然のように総身に鳥肌を立てているが超笑顔で「おーぅさーとしぃー」
「もじゃもじゃー!なにこうたん?」
「中華まんの外っかわだけさぁー!」抱えた袋から鷲掴みでもぎり「はい!やる!」
「わーふかふかやー…けどまっしろやな」
そこへ自転車急ブレーキ「ああ間に合うた!お早うございます!」汗だくの巡査
「おーう裕ちゃん待ってたーはい裕ちゃんの分ー」鷲掴みでもぎるもぎる
「あーありがとうございますー」食らい付く巡査「んまいれふー」
「おまーりさんいっつもこんなんくうてんの?」
「むは。いや、たまにであります!たまに、ご相伴に預かるんであります」白いの握ったまま敬礼
「じゃーねー」袋から湯気モクモクたてながら去っていくもじゃもじゃ
手を振りながらも白い生地をみつめる弟「けどほんままっしろやね」
「噛むんです!ずっと噛むんですよ!甘いから!幸せになりますよホンマに!具なんか要らんのですよこれホンマは!」
「そうなん…?」
・コンビニでカレーパンもカレーまんも切れていて店員とモメた隙にBを見失ったA
わざわざGPSで追うほどでもないと思いながらも、やや焦りながら次のコンビニへ移動
その際公園で空を見上げる弟を発見
Bが付近に居ないことをいぶかしんでいると、「あ、目ぇのおっちゃんや」たちまち気付かれる
「その、何でアタシにそんなにすぐ気付くんですかね、教えておいてもらえると有り難いんですが」
「かちゃかちゃいうやん」ライダースジャケットのファスナー、ボタン…?
冷静を装いつつちょっと胸を押さえたりファスナーを上げたりするA「そうすか」
「なあ、ゆき、ふるかなあ?」
「降る…んじゃないすかね、こんだけ寒いんだし」ふと見遣ると弟手が真っ赤だ「ちょっと、その手、どうしたんです」
「てあらってんそこで」公園の蛇口「たべるまえとあとにはてぇあらわな」
「…で、ちゃんと拭きました?シモヤケんなりますよ」
「あー、わすれてた」にこにこ
ザ・やれやれの顔でポケットから薄い革手袋を「貸しますよ。見てらんねえ」
「ええの?すごい!“かいじん”みたいや」
「返して下さいよ、高いんですから」立ち去りながらちょっと考えて「…怪人?」
・絵師は寒いのでコタツでねこと寝てる
礼二からの電話にも出ない
食事も一日一食になってひたすら眠る
ある種の冬眠である
・土手を走っていく白いマフラー+黒手袋
橋の上で佇む白い男(帽子+とっくりセーター+ズボン+スニーカー+コート+手袋:全部白)
「しろいおっちゃーん」
「やあ」ちらりと手袋に目をやるが「今日も元気そうだ」
「うん、げんきやで」欄干から身を乗り出して空を見上げ「なあ、ゆき、ふるかなあ?」
背中をやんわりと掴んで引き戻しながら「降るでしょうね、匂いがします」
「におい?ゆきってにおいすんの?!」
「しますよ。降る前も、降った後も」若干陶酔した表情で「雪は、好きだ…何もかも…白く染め変えてくれる…同じ地上じゃないみたいに…」
「けんたろ―――!」ゴム長ガバガバ鳴らして走ってくるあいつ「探したじゃーん!もー、居ろよー、どっかにぃー!」そして鷲掴みで「はい!おま・たせ!」
「待ちかねたよ友よ」手袋を外して受け取り、食らい付きながら「それれはひつれい」
去っていく奇人二人を見送る弟
・その頃公園ではBが滑り台の上で泣いていた
「何で…何でそういうことすんの…?!」
「しょーがないでしょう、手真っ赤だったんですよ!」
「だってだって潤俺の気持ち知ってるじゃん?それをさ、何で…」
「居ないアンタが悪いんでしょうが!」
「おしっこくらいしたいときあるでしょ潤だって!」
「そりゃありますよ人間ですもん!けどアンタはあの子を好きで尾行してんでしょうが!」
「好きでもおしっこは出るじゃない!」
「アンタ自分が何言ってるかわかってますか?!」
「わかんないよ!わかんないよ、だって今あの子は潤の手袋…」
「もう本当いい加減降りて来なさいよ!どんだけ目立ってるかわかってます?!」
「わかんないしわかりたくもないから!」膝を抱えてオイオイ泣く
・買い物袋を両手に下げて帰ってくる庄司
「うわ!何でこんなトコに居んの?!」
「あ、おかえりしょー兄」
「家に居なきゃダメじゃん!」
「にもつもつわ」誤魔化すつもりで「もつわもつわ」
振り切って「風邪引いたらどうすんのー早く帰らなきゃ」
「ふりだすとこみたいねんもん」
「ふりだすとこ?」
「ゆき!ふりだすしゅんかん!みたいねんもん」
・そして庄司は弟にしっかり着込ませ、自らは台所に「手羽を煮込むからね今日はぁー!コラーゲーン!」料理し始めると目が飛ぶ
・すっかり日も落ち、街灯に温みを探すように蛇行しながら帰ってくる兄
白く浮かぶマフラーに歩を早める
弟は暗い空を見上げたまま「兄ちゃんおかえり」
兄もつられて見上げる
弟の頭にぽんと手を置きながら「おかえり」兄の白い息と入れ替わるように、遂に雪が舞い始める
「あ、ちゃうわ、ただいまや」